「フェイスブック革命」と沈黙の螺旋

朝日新聞朝刊(2/21GLOBE)やNHKスペシャルでも「フェイスブック革命」が扱われていました。facebooktwitteryoutubeなどウェブ上の新しいメディアが一連の中東アラブ社会の政治変動に大きな影響を与えていることは確かでしょう。

私は社会学で社会ネットワークを研究しているので、今回の政治変動が本当に新しいものなのか、またそうだとしたらどのように新しいのかという点に興味があります。ただしエジプト社会やアラブ社会が専門ではありませんので、以下で述べるのはあくまで雑感程度のものです。

政治学社会心理学ではノエル=ノイマンの「沈黙の螺旋」という理論が知られています。少数派は沈黙するゆえに自ら過小評価しさらに沈黙するというもので、全体主義や独裁がどのように維持されるかというモデルになっています。中東独裁国家で国民の間に不満は昔からあったはずで、不満が急速に高まったから民衆運動も急速に高まったとは考えられません。今回、ソーシャルメディアが果たしたのは「沈黙の螺旋」を壊す役割だったのではないかと思います。

独裁政府に対する不満があっても、それを表に出せないのは迫害の危険があるからです。しかし、もし独裁政府を倒すことができるくらい大多数の人々を動員できるのであれば、抵抗運動が成功する可能性は高まります。不満の大きさが同じでもそれが大規模な運動に発展するかどうかは、人々が自分たちの力の大きさ、あるいは連帯の可能性をどの程度のものと認識しているかによります。一番怖いのは、自分だけ突出して梯子を外されてしまうような事態です。独裁政府の側にすれば、抵抗勢力の間に相互不信や疑心暗鬼を生じさせれば、抵抗勢力の連帯を阻むことができます。独裁政府が密告を奨励するのはそのためともいえます。

今回の出来事で考慮すべきことは、独裁政府を退場に追いやった直接の原動力はやはり広場や街頭での人々の直接行動であったということでしょう。ソーシャルメディアはその動員に寄与したと考えられます。例えば、エジプトではムスリム同胞団のような組織でもできなかった大衆動員がいかに可能になったのかを考えると、ソーシャルメディアによる潜在的な不満の可視化という仮説がたてられます。「こんなにも多くの人々がいますぐにでも政権を倒したいと思っており、行動する意思がある」ということが人々の間で広範に共有されたとき、人々は「沈黙の螺旋」を抜け出して抵抗に参加できるようになるからです。

一度街頭で多くの人々が行動を起こせば、それはもはやネットを介さずとも人々の間に不満の高まりを認識させます。デモ参加者のどの程度が実際にソーシャルメディアにアクセスしていたか(逆にいえばソーシャルメディアにアクセスした人がどの程度デモに参加してたか)は分かりませんが、ネットを介した動員力が大衆動員への臨界点を超えれば、抵抗運動の広がりはもはや止められなくなります。

下の図はバラバラの人々や断片的にしかつながっていない人々がソーシャルメディアを介してつながるイメージです。このとき、ソーシャルメディアがかつての新聞や雑誌のようなメディアと本質的に違うのかそれとも同じなのかは考える必要があります。今回は独裁政府がインターネットの統制に失敗した(遮断するような荒っぽい対応しかとれなかった)だけなのか、マスメディアと同じように統制に成功すれば抵抗運動を封じ込められるのか、今のところ分かりません(中国はどうなるか?)。


それにしても、アラブ社会で大きな政治変動があるとすれば、それはイスラーム主義によるものだと思っていました。多くの人がそう思っていたのではないでしょうか。社会ネットワーク分析界隈でも9.11のテロリスト・ネットワークが話題になったりしていました。

大塚和夫『イスラーム主義とは何か』(岩波新書)には工学教育を受けた急進的イスラーム主義者や「ミドルクラス・テロリスト」が描かれています。教育水準が高いのに社会的に不遇(失業とか)という不満がテロも辞さない急進的イスラーム主義へ向かうのか、それともインターネットを介した社会的連帯という別の道があるのか。新しい可能性は見えてきたわけですが、「フェイスブック革命」がイスラーム主義にとってかわると安易に考えることもできません。独裁を倒した後の新たな分断線(ミドルクラスは権利を獲得した、だがそこにも入れないものは?)が顕在化するかもしれません。

一昨年に急逝された大塚先生だったら現状をどう見たのでしょうか。

イスラーム主義とは何か (岩波新書 新赤版 (885))

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